ほんとうの自分

僕は子どもの頃、〝ほんとうの自分〟というものがどこにあるのか、よくわからなくなっていた時があった。家から一歩出た途端に友達の前では、強がっていたことが本当に多かった。でも実際は弱くて、親にはいつも甘えてばかり。家族はいつも、弱い自分を受け入れてくれる。背伸びしなくていい。思い返せば、家にいる時がいちばん素の自分でいたのかもしれないなぁと、今思う。

家族には、仕事や保育園、学校…、毎日それぞれの日々がある。子どもだって、大人だって、外でしか見せない、自分だけが知っている顔があったりするのだ。そんな時、ふと立ち止まって、足元を見つめ直したり、自分が自分らしくいられるような帰る場所を、また再確認したりする為にも、家族の写真の存在意味があると思っている。こんな風に、ときどき身を寄せ合うから、また前に進んでいける。

家族の写真、たくさん更新しました。 

FAMILY 記念


子どもたちが出会うもの

メリーゴーランドでの写真展『廻り、出会う、メリーゴーランド』が、昨日で終了した。

当然ながら、これほどメリーゴーランドで時間を過ごしたのは初めてだった。スタッフのシノさんによると、これまで展示やイベントを行った作家さんの中で一番僕が在廊出勤時間が長かったらしい…!嬉しいのやら、大して多く仕事が無いからなのか…、なんとも複雑な気持ちにはなってしまったけど、展示は作家が在廊しないと意味が無いと思ってしまうほど僕は在廊に重きを置いていたので、結果的にたくさんの方に毎日お会いできたのは本当に嬉しかった。

これほど長くお店にいたのでいつもお店を観察させてもらったんだけど、子どもが本を真剣に読む姿は、凄くいいなぁと思った。メリーゴーランドは創業当時から基本的に試し読みがオッケーなので、店内の至るところで子どもや大人が本を読んでいる。特に、切り株の手作り椅子に座って読む姿がとてもいい。これはうちの娘もお気に入り。天井まで続く本棚にかかった木のハシゴと、この切り株の椅子はメリーゴーランドの定番の風景。子どもたちは周りが見えなくなるくらいに目の前の本が描く世界に夢中となって、頭のなかで想像を膨らませ、まるで冒険に出ているよう。中には集中力がすぐに切れてしまい、フラフラお店を駆け回る子もいれば、おもちゃコーナーへ移動して遊び始める子もいて様々あるけど、やっぱり本を一人で読んでいる子を見かけると、なんだか嬉しくなり感心してしまう。

シノさんにも会期中同じ話しをしたんだけど、「子どもはいつも自由でいいよなぁ」と言う大人がたまにいる。僕は、子どもは全く自由じゃないと思っている。好きな場所へ、自分の好きな時間に行くことができないし、行く手段もなく、何においてもまず親の許可がいることがほとんどである。どちらかといえば、不自由だと思う。だからこそ大人は、狭い世界のなかでも、子どもが知らない広い世界をもっと見せるべきだし、学校の勉強も大切だけど、たくさんの今ある文化を見せて伝えるべきだと思っている。本屋さんで本を広げて夢中になる子を見ていると、もしかしたらその子は、今この瞬間、人生が変わるキッカケを生んだのかもしれない。それは大袈裟だとしても、いつかその本とまた再会する時、何かの転機になるかもしれない。写真だってそうである。写真には、いつも自分で見ている世界が、ある人が見つめる世界は、こう違って見えているのか。と、子どもだって中にはカルチャーショックを受ける子もきっといる。文化や作品、つまり〝面白い大人たちが生んだ渾身の作品〟によって、その子を救ったり、人生を変えてしまうような、大きな影響を与えるのかもしれないのだ。ましてや、東京でも大阪でもない、地方と呼ばれる田舎に今暮らしている以上は、どうしても子どもたちは『文化』という言葉から遠い場所にいるように思うから、僕たち大人は、新しいモノや人に出会う機会を増やしていってあげて、子どもたちがこれから進む道の幅、みたいなものを、できる限りぐっと広げてあげたい。メリーゴーランドはそれをもう既に四十年以上も前から実行し、伝えていっているように思う。自分は、なにができるのだろうか?まだわかっていないけど、メリーゴーランドと今回少しでもこうやって関われたことで、考えるキッカケを与えてもらった。たくさん勉強させてもらい、本当に感謝しかない。明日から、また頑張ろう。



あなたに撮ってほしいと、思える人

鳥取を拠点とする、写真家でもありライターの顔も持つ藤田和俊さんが会社を設立された。その名も「僕ら、」である。僕の数少ない、大切な写真家の友人。一年ほど前に、これが構想段階の時に、その名前をご本人から聞いたことがあった。僕はなんだか、「藤田さんらしいなぁ」と思った。カメラを構えている時、いつも少年のように楽しそうにする藤田さんの姿が、とっさに浮かんできたからだ。

元々、新聞記者だった藤田さんは、写真を撮ることよりも、書いたり、人の話しを聞くことを仕事にされていたこともあって、とても聞き上手といっていいのか、話していてとても気持ちがいい。藤田さんは、「僕は写真と言葉で伝えていきたい」と、よく口癖のように言っていた。それは、藤田さんの眼差しによって見つけられた、鳥取県の暮らしの豊かさや、そこで出会う人々、その人たちに秘めた、日々を強く生きる姿や、これまで誰にも語ることのなかった物語。そこに写真で光を当て、丁寧な文脈で紡いでいく作業。人には、今いる地点に辿り着くまでに、いくつかのストーリーが必ずあって、それはずっとこの先も続いていく。藤田さんはそこを丁寧に汲み取り、柔らかく、強く、背中を押してくれる。取材された人、撮影を依頼した人が少し照れ臭そうに撮られているように見えても、「またいつか、あなたに撮ってほしい」と、きっと最後はそう感じているのだろうなと、僕にはそう見えてくる。人が好きで、その人の本質の部分に触れたいと行動する藤田さんには、そんな魅力がある。

長年ウェディングプランナーを勤めてきた、パートナーである奥さんの里美さんが加わった。出来上がったウェブサイトを見た時、ブワーっと、ふたりの意気込みが伝わってきたし、他業種であった里美さんとの掛け算が、見事に同じ方向を向いているように感じた。僕は正直、少し悔しくなってしまった。それくらい、パワーとか、大きな歩幅で踏み込んでいった、強い想いを感じたのだ。僕は記事を読んでいると、また鳥取に行きたくなった。

「僕ら、」ウェブサイト



つながる

愛知県知多市のヘアーサロン〝HOME hair〟さんで写真を展示させて頂いた。長い付き合いの店主が、私が写真家として独立すると聞いた時に、「うちの壁、自由に写真飾ってよ」と言ってくれたのがきっかけだった。とても嬉しかった。これから好きな道へ突き進む反面、漠然と先行きが不安だった僕の姿に、何か協力できることはないかと、店主の粋な計らいだった。開業当時の頃の気持ちや、エピソードなんかも話してくれたりして、なんだか勇気を貰ったりもした。本当に有難い。

僕は密かに、美容師という仕事に憧れている。または、尊敬という言葉の方がフィットするかもしれない。あれほど手と頭を動かしながら目の前の人と対話し、満足してもらい、なおかつ技術も高めていくなんて、本当に大変な仕事だと思う。僕がこれまでお世話になった美容師さんは皆んな、きまって接客が気持ちいい。自分ごとのように話しを聞き、いつの時も受け入れ、時には一緒に悩み考えてくれたりする。少し疲れた姿や弱さ?を見せると、「休んだ方がいいよ」と気にかけてくれたりする。美容院は、気持ちが安らぎ、一度心がリセットできる場所だと思う。これまで美容師さんには、何度元気を貰ったことか。全く別の職種ではあるけど、『人を幸せにしたり、笑顔にすること』は、写真を撮る仕事ときっと共通している。いつも勉強になる。

おしごと HOME hair


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