知ろうとすること

妻が手作り子ども服を製作販売しており、来月、初の受注販売会を行うことになった。なので近頃の平日の昼間は、ミシンの音が家中に響き渡る。僕は縫うことは全くできないけど、以前まで長くアパレル業界にいたので、一枚の服が出来上がるのに大変な労力がかかることは理解しているつもりだ。だけど、それもやはりこんなに身近で製作している光景を実際に見ていると、本当に大変な仕事だなぁと痛感する。ある程度大きな縫製工場であれば分業制だと思うけど、妻は一人で全て行っているから尚更である。販売会は、僕の大好きなあのお店です…。お楽しみに。

写真とは関係ないけど、今日は気分転換も兼ねて無印良品へ行ってきた。先日の写真展のフライヤーを置かせてもらっていたので、回収がてら店長さんにお礼のご挨拶もさせてもらった。四日市の近鉄百貨店にある店舗なんだけど、東京から転勤で来たと話す店長さんは、「この町の魅力をもっと知り、お店として発信していきたい」と話していた。偉いなぁと思った。地元の人でさえ、長年住んでいるにも関わらず、その町の歴史や魅力を知らない人は結構多い。ここでいう知る、というのは、美味しい食べ物も当然そうだけど、昔から今も変わらず残り続けているものである。〝コンビナート〟や〝四日市ぜんそく〟なら学校の教科書でも出てきたけど、それ以外の事は授業で教えてもらったりした覚えはない(たぶん)。ほとんどの子たちは、大きくなったらすぐ外の世界に興味を示し出して、自分の町をよく知ることなく大人になっていったり、あるいはそのまま県外へ出て行ってしまうような気がする。正直、以前までは僕も完全にその一人だった。「田舎には何もない」と言ってしまう人は、そもそも知ろうとしていないのである。「こんな場所があるよ」、「君の町に、こんな世界もあるよ」と、子どもたちに教える事ができるのは、大人しかいないのだ。魅力を見つける、という言い方よりも、まずは足を運んで知ろうとすること。それが大切である。


hair salon IIU 2021 S/S

以前より何度か撮影させて頂いていた、ヘアーサロンIIU(トゥーユー )さんの2021年春夏撮影を全て撮り終えました。ヘアーサロンのモデル撮影というと、ヘアを細部まで固めて室内で撮る、いわゆる〝作品撮り〟な印象ですが、あくまで自然体なスタイルを求めた今回の撮影。固定されない、こういった自由なスタンスのヘアーサロンの撮影がもっと増えたら楽しいなぁと思います。ご相談、お待ちしております。

おしごと hair salon IIU vol.2


育てていく

先日、スタジオに初めてお客さんが。しかも一日で二組も。嬉しかった。ゆっくり過ごしてもらえたようで、前日までの掃除も頑張って本当によかった。(手伝ってくれた家族よ、ありがとう…。)

ここは昔、住宅だった。その後、町のイベント事や宴会などに使用されていたりした。貴重な建物なので、玄関を開放して誰でも見学できるようになっていた時期もあったけど、ウイルスもあってなのか、ここ数年はずっと閉まったまんまで、よくお庭だけが開放されていた。この家に、我が家以外の家族が集まった風景は何年ぶりなんだろうか。この日は僕を入れて五人程度ではあるけど、五人もいれば家中に楽しい声と足音が響き渡って、家が喜んでいるように思えた。前回ここを開けた時からは一ヶ月ほど経過していて、古い家は気密性がないからか、あっという間にホコリが溜まっていた。更に梅雨とあって、お庭なんて雑草だらけ。なかなか手入れが大変なんだけど、掃除をすればするほど、自然と愛着が湧いてくる。いつかここでたくさんの人を呼んで、楽しいことがしたい。作品に触れたり、美味しいものを食べたり、子どもたちは元気に走り回り、新しい人との出会いもある、そんな場所でありたい。想像が膨らむばかりである。


ほんとうの自分

僕は子どもの頃、〝ほんとうの自分〟というものがどこにあるのか、よくわからなくなっていた時があった。家から一歩出た途端に友達の前では、強がっていたことが本当に多かった。でも実際は弱くて、親にはいつも甘えてばかり。家族はいつも、弱い自分を受け入れてくれる。背伸びしなくていい。思い返せば、家にいる時がいちばん素の自分でいたのかもしれないなぁと、今思う。

家族には、仕事や保育園、学校…、毎日それぞれの日々がある。子どもだって、大人だって、外でしか見せない、自分だけが知っている顔があったりするのだ。そんな時、ふと立ち止まって、足元を見つめ直したり、自分が自分らしくいられるような帰る場所を、また再確認したりする為にも、家族の写真の存在意味があると思っている。こんな風に、ときどき身を寄せ合うから、また前に進んでいける。

家族の写真、たくさん更新しました。 

FAMILY 記念


子どもたちが出会うもの

メリーゴーランドでの写真展『廻り、出会う、メリーゴーランド』が、昨日で終了した。

当然ながら、これほどメリーゴーランドで時間を過ごしたのは初めてだった。スタッフのシノさんによると、これまで展示やイベントを行った作家さんの中で一番僕が在廊出勤時間が長かったらしい…!嬉しいのやら、大して多く仕事が無いからなのか…、なんとも複雑な気持ちにはなってしまったけど、展示は作家が在廊しないと意味が無いと思ってしまうほど僕は在廊に重きを置いていたので、結果的にたくさんの方に毎日お会いできたのは本当に嬉しかった。

これほど長くお店にいたのでいつもお店を観察させてもらったんだけど、子どもが本を真剣に読む姿は、凄くいいなぁと思った。メリーゴーランドは創業当時から基本的に試し読みがオッケーなので、店内の至るところで子どもや大人が本を読んでいる。特に、切り株の手作り椅子に座って読む姿がとてもいい。これはうちの娘もお気に入り。天井まで続く本棚にかかった木のハシゴと、この切り株の椅子はメリーゴーランドの定番の風景。子どもたちは周りが見えなくなるくらいに目の前の本が描く世界に夢中となって、頭のなかで想像を膨らませ、まるで冒険に出ているよう。中には集中力がすぐに切れてしまい、フラフラお店を駆け回る子もいれば、おもちゃコーナーへ移動して遊び始める子もいて様々あるけど、やっぱり本を一人で読んでいる子を見かけると、なんだか嬉しくなり感心してしまう。

シノさんにも会期中同じ話しをしたんだけど、「子どもはいつも自由でいいよなぁ」と言う大人がたまにいる。僕は、子どもは全く自由じゃないと思っている。好きな場所へ、自分の好きな時間に行くことができないし、行く手段もなく、何においてもまず親の許可がいることがほとんどである。どちらかといえば、不自由だと思う。だからこそ大人は、狭い世界のなかでも、子どもが知らない広い世界をもっと見せるべきだし、学校の勉強も大切だけど、たくさんの今ある文化を見せて伝えるべきだと思っている。本屋さんで本を広げて夢中になる子を見ていると、もしかしたらその子は、今この瞬間、人生が変わるキッカケを生んだのかもしれない。それは大袈裟だとしても、いつかその本とまた再会する時、何かの転機になるかもしれない。写真だってそうである。写真には、いつも自分で見ている世界が、ある人が見つめる世界は、こう違って見えているのか。と、子どもだって中にはカルチャーショックを受ける子もきっといる。文化や作品、つまり〝面白い大人たちが生んだ渾身の作品〟によって、その子を救ったり、人生を変えてしまうような、大きな影響を与えるのかもしれないのだ。ましてや、東京でも大阪でもない、地方と呼ばれる田舎に今暮らしている以上は、どうしても子どもたちは『文化』という言葉から遠い場所にいるように思うから、僕たち大人は、新しいモノや人に出会う機会を増やしていってあげて、子どもたちがこれから進む道の幅、みたいなものを、できる限りぐっと広げてあげたい。メリーゴーランドはそれをもう既に四十年以上も前から実行し、伝えていっているように思う。自分は、なにができるのだろうか?まだわかっていないけど、メリーゴーランドと今回少しでもこうやって関われたことで、考えるキッカケを与えてもらった。たくさん勉強させてもらい、本当に感謝しかない。明日から、また頑張ろう。


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